日本の伝統芸能は 西洋や今の現代人が考えるものと少し違います。

例えば 山登りは 山の頂上に立てばその山を征服したことになります。

しかし その山の良さを見つけるには何度も何度も登り降りしなければなりません。一度目では見えなかったものが二度目には見えてきます。こんな所にこんな小川があったのか。こんな所にこんな脇道があったのかと新しいことに気が付きます。更に何度も上り下りしている内に 道辺に咲く可愛らしい花を見付けたり 面白い形をした岩を見つけたりします。さあこれでこの山が分かったかというと 日本には四季があります。四季折々山の表情は異なります。このようにひとつの山を理解するには一度登って征服しただけでは山のほんの一部が分かったに過ぎないのです。

日本の伝統芸能である茶道も一度点前を覚えたら それで終わりではないのです。何度も何度も繰り返している内に次第とその点前の意味がみえて来ます。又自分が年を重ねると共に同じお点前でも見えてくるものが異なります。

これが茶道の醍醐味です。豊かな人生を送る為にも是非茶道を初めてみて下さい。

 

お酒は目上から目下に注ぐのが原則 お流れ頂戴とは 目上から酒を頂くという意味

全員からお流れを頂戴するということは 亭主正客を含めて全員目下 即ち 全員平等

一週目 亭主 全員に一献注いで 海の物を取る   正客の所へ戻る

二週目現在のやり方は カッコ部分を省略してしまっている)

 亭主 お流れ頂戴

 正客 どうぞ御別杯お持ちだしを

 亭主 別に持ち合わせがございませんといって 亭主の杯を貰うため杯台を亭主に出す

 正客 自分の杯を懐紙で清め 杯台に乗せ 亭主に送る

    (亭主 燗鍋の向きを 正客に向ける)

    (正客 ご亭主に八寸を取ってあげたいのでと言って 燗鍋を次客に送る)

    (正客 八寸をお取り致しましょうと亭主に言って 八寸の折敷を亭主に乞う)

 亭主 八寸を 正客に向きを変えて渡す

 正客 亭主分の八寸を懐紙に取り 八寸の折敷と 懐紙に取った亭主分の八寸を亭主に返す

 次客 (「正客の代わりに では私がお注ぎいたしましょう」と言って) 亭主に酒を注ぐ

亭主 杯をあける

 次客 お流れ頂戴と亭主に 杯を乞う

亭主 杯を清めて 杯暫時拝借と正客に断わり 次客に酒を注いで 燗鍋は三客より注いでもらえるように向きを変えて置く

亭主 正客と次客に 山の物を取ってあげる

亭主 次客が杯をあけると 次客にお流れ頂戴といって 末客より酒を注いで貰うように燗鍋の向きを変える

末客 亭主に酒を注ぐ(次客のお流れ) 亭主が杯をあける

末客 お流れ頂戴

亭主 末客に酒を注ぎ(亭主のお流れ) 山の物を取ってあげる 末客杯を開けると お流れ頂戴と 末客に乞う

末客 亭主に酒を注ぐ(末客のお流れ)

三週目

 正客の面で戻り

 亭主 長々と拝借いたしました と言って 正客に一献注いで 正客にお流れ頂戴

 正客 亭主に一献注ぐ 亭主杯をあけると 正客これにて御納杯をと言う

これは丁度 続き薄茶の正客と次客のお茶の頂き方と似ている

この様に読み解くと様々な方法が考えられる

たとえば 二週目最初のお流れ頂戴で 次客に燗鍋の向きを変えるのではなく

正客に向きを変えて正客から 最初にお流れを貰うというような方法もある

 炉の茶事は松籟の移ろいに一層趣き深いものを感じます。炉では亭主は客を迎えるにあたり 炉中の化粧灰を厚く撒きます。そして下火は稽古のときとは異なりあまり強く熾さず四分の一から五分の一位熾します。客が席中に入ってくる寸前に炭の火の点いている方を上にして(夏下冬上)下火同士の隙間を空けず火の回りを抑えるように炉中に置く事が肝心です。そしてたっぷりと水を含ませた濡れ釜を客が入る寸前に懸けて客の席入りを待ちます。客は席入りをして先ず床を拝見して 点前座に進み濡れ釜を拝見します。このとき釜がしっとりと濡れているのが亭主の力量です。主客問答の後 炭手前をする頃まで釜は濡れて美しい存在感を示しております。釜を上げて初掃きをした時の炉中は 下火の周りの湿し灰は乾いて白く そして四隅の湿し灰はまだ乾かずにこっくりとした良い色を残しています。炭つぎは風炉と異なりいかに火が回らないようにつぐかを心掛けます。動かす一本の下火も隙間が出来ないようにつがなければなりません。ここまでしっかり出来れば松籟は一回の茶事の間見事な変化を見せてくれます。

 炭手前が終わり懐石ですが この時の蒸れる前のあの柔らかい一文字のご飯ほど お米の美味しさを感じる時はありません。客の刻限遵守の理由です。ここで飯から食べるか汁から食べるかがよく問題になりますが 亭主が時間を見計らって準備をしている事を考えると飯から食べるのが客としては良いのではないでしょうか。ご飯はすぐに蒸れてしまいますが 汁は少し時間がずれてもご飯ほど変化はありません。ただ汁から食べないとご飯が喉を通らないという人は汁からでもかまいません。そして懐石が進み亭主相伴の頃 釜の煮えが頂点に達し亭主の居ない穴をこの松籟が埋めてくれます。

 中立ちの間 炭はいじらない方が 後炭の流れを楽しめますので炉中は 香を焚く程度にしておきます。ゆっくり打たれる銅鑼の音で後入り。濃茶点前の中蓋をする頃も初炭が上手く行っていれば 釜の松籟は心地よい音を立てております。蓋を開けると松籟はまだ一段と大きな音を立て その松籟の中で濃茶を練るのはまさに亭主の醍醐味です。客がお茶を吸い切り亭主が釜に水を差すと 釜鳴りが一瞬のうちに消え あたりがこんなに静かだったのかと思うほどの静寂が漂います。ここで初めて釜の音がいかに 賑やかに客をもてなしていてくれた事に気が付きます。

 濃茶が終わり後炭、胴炭はもう火箸で軽く触っただけで二つに割れます。薄茶点前に入り正客に一服薄茶が点てられる頃 また釜が音を立て始めます。そして一回の茶事が終わりお別れの挨拶をする頃には 釜の松籟はあの賑やかな音を立ててお別れの寂しさを紛らわしてくれるという役目までしてくれます。

 一座建立 茶事は客の力量も大切です。懐石の間もただ黙々と食べるだけで裏方の様子を図らない客は最低です。ここは亭主が遅れていると察した時には場をシラケさせない会話力も客には必要です。黙っていなければならないのは濃茶を練る時だけです。

 先人達は こんなきめ細かいシナリオを私達に残してくれました。そんな先人達に感謝をしながら日常の稽古に励んで行きたいものです。     (記 平成十七年十一月)

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